酔いどれ三十路男による不急提言

酒でも飲みながら、世の中に対して思ったことを、何となく書き綴ります。

安倍政権は独裁政権なのか!?

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今、世の中は「戦争法案」だとか「民主主義の崩壊」だとか、何かと騒々しいですね。

なぜここまで安倍政権は(反対派の人たちに)嫌われているのでしょうか?独裁政治だからでしょうか?

いまいち良くわからないので、「集団的自衛権」にフォーカスして、平成24年度の総選挙より時系列で追ってみました。

 

平成24年12月16日 第46回衆議院議員選挙

以下、「自民党政権公約2012」より引用

日本の平和と地域の安定を守るため、集団的自衛権の行使を可能とし、「国家安全保障基本法」を制定します。 

ふむふむ、集団的自衛権の行使を可能」公約に盛り込みました。

結果はいかほどに!?

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自民党大勝

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平成26年7月1日 安倍政権、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」閣議決定

以下、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」より引用

~我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。 

 ここまでは、公約通りに集団的自衛権を行使可能とするため、要件を整備しています。

  ↓

平成26年12月14日 第47回衆議院議員選挙

以下、「自民党政権公約2014」より引用

 「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」(平成26年7月1日閣議決定)に基づき、いかなる事態に対しても国民の命と平和な暮らしを守り抜くため、平時から切れ目のない対応を可能とする安全保障法制を速やかに整備します。

なるほど、先般「集団的自衛権行使可能」のために整備したものを、公約として採用した訳ですな。

さて、結果は?

  ↓

自民党大勝

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平成27年5月14 日安倍政権、安全保障関連法案閣議決定

これも公約通りです。

安倍政権に対する批判が激しくなってきのはこの辺りからでしょうか?

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平成27年7月16日 安全保障関連法案、衆議院通過

  ↓

現在に至る。

 

全くの公約通りではありませんか!

選挙という正当なプロセスを経て政権を託された政党が、公約を粛々と実行に移す、これは数の論理に頼んで民意を無視した好き勝手放題の独裁政治なのでしょうか?

反対派の人たちは「民意」ってよく言いますけど、「民意」って何なのでしょうかね。

声が大きい人の意見ということでしょうか。

国民が怒りの声を上げる時は、選挙という行為を通じて為政者となった者が、公約に反する行為を行った時だと思うのです。

マニフェスト」などと耳触りの良いことを言っておきながら、それをことごとく反故にした某政党の如き輩に対しては、憤激してしかるべきでしょう。

国民との約束を破ったわけですからね。

この公約をしっかりと時の政権が実行に移しているかどうかを監視し続けることは大事かと思います。

 

なぜ公約が大事なのか?

私たちが選挙において貴重な1票を投じる時、判断材料は限られています。

支持政党を決める際に最重要の判断材料といえば、やはり公約です。

なにしろ、事細かく今後の政策について記載されていますからね。

それと並行して重要な判断材料とは、その公約の実現可能性です。

その政党の政治家たちが公約を実現することができるかどうか、ということですね。

どんな美辞麗句を並べたとしても、それを実現できなければ単なる絵空事です。

よく、判断材料として「人柄」で選ぶという人もいますが、そんなものは犬に食わせてしまいましょう。

人柄が良いというのはまことに結構なことですが、こと政治においてそんなものは何の役にも立ちません。

政治家に求められる資質とは、公約を実現させる能力のみです。

逆に考えれば、公約くらいしか我々の判断材料がないというのが現状なのです。

ゆえに、選挙においては各政党の公約をしっかり読み込むことが、民主主義下における国民の責務であると考えるのです。

 

 昨今の「安倍批判」に思うこと

「安倍嫌い」に端を発する批判的風潮は何か違うのでは?と思ってしまいます。

安倍政権に対する主な批判対象は安全保障政策に関してです。

しかし、これまで見てきたように、安倍政権においては公約を粛々と進めてきただけなのです。

選挙以前より、この件に関して明確に反対してきた人たちがギャーギャー言うのはまだわかります。

しかし、公約もろくすっぽ読まないで、ただなんとなく自民党に投票しておいて、今さら空気に流されて「けしからん!」などと言う人がいるとすれば、その人こそが民主主義を危うくする者です。

 

この件に関して、「国民の理解が進んでいない」という意見もあります。

当事者たる政治家が言うのはわかりますが、国民側からも「その通りだ!」と言う人もいます。

つまり「自分たちの理解が進んでいない」ということですね。

冗談ではありません、はなから理解しようとしていない人間が、これだけ高度な問題を理解などできるものですか!

「理解が進んでいない」と仰せの方の大半が、法案なんて読んだこともなければ読もうともしていない人です。

「説明不足だ!」と言いますが、いくら懇切丁寧にわかりやすく説明したとしても、そもそも説明以前の問題で、前提条件からして不十分なのです。

倒れているコップに水を注いでいるようなものです。

 

法案を読んだとしても、もちろん、100%理解することは難しいと思います。

そうであったとしても、中身をしっかりと理解しようとする姿勢こそが、民主主義下の国民に求められていることなのです。

その上で異論・反論があるのならば、それはそれでは大いに結構なことですが、中身も見ずに単にメディア等の影響を受けて反対派や慎重派に転じてしまうようでは、何のための民主主義か、と考えてしまいます。

民主主義とはどこからともなくぽっと生まれたものではありません。

先人たちが艱難辛苦の中で築き上げてきたものなのです。

その恩恵に授かっている私たちは決して受け身であってはならないのです。

 今の時代、情報を集めようと思えば、いくらでも集めることができます。

公約にしろ、法案にしろ、それらの解説にしろ、大概はインターネット上で簡単に閲覧できるはずです。

逆に言えば、玉石混淆、情報に溢れている時代とも言えます。

高度に情報技術が発達した現代は、まさに民主主義の過渡期なのです。

民主主義が高度に発展していくか、はたまた衆愚政治へと堕落するかの分水嶺なのです。

 マスコミや政治家は、あえて衆愚の道を歩ませるのかと思うくらいに、意図的とさえ見えるやり方で世論を操作しようとします。

堂々と政策論戦を繰り広げ、そして選挙に勝つ、というのが民主主義の本筋でしょう。

この度のように、法案の具体的内容に対する熟思をすっ飛ばした感情論的な空気によって、世論が感化されることが続くようであれば、民主主義は間違いなく堕落します。

民主主義を堕落ではなく発展させていくために、国民一人一人がしっかりとした見識を備える必要があるのです。